インド・バウルの音楽

知り合いに誘われてインドの行者・バウルの音楽を聴きに行った。
イベント紹介のページに出ていた解説によれば、バウルとは


 バウルはベンガル地方に古くからある民間修行者のグループです。
 インド西ベンガル州を中心に活動するヒンドゥー系の修行者をバウル、バングラデシュを中心に活動するムスリム系の修行者をフォキルと呼んで区別することもあれば、両者を併せてバウル
と総称することもあります。
 音楽的にはあくまで唄が中心ですがエクタラ(一弦楽器)、ドタラ(4〜5弦の三味線系發弦楽器)、コモク(棹のない弦楽器)等バウル特有の楽器のアンサンブルはインド音楽というと通常思い描く古典の楽器とは違うシンプルかつダイナミックな味わいがあります。
とのことで、宗教色が強かったらイヤだなあと思いつつ、音楽としてはどうなんだろう、を知りたくて行ってみた。
 歌詞の説明をはさみながらの歌と演奏で、歌詞のほうは正直ぴんとこない(抽象的で、教義が伝わるようなものとも思わなかった)。音楽のほうは、一般的に「インド音楽」と言われてイメージするようなものとは少し違って、自分には日本の民謡にも近い、どこかで聴いたようなものに思えた。
 中心はサドン・ボイラギという人だったが、日本人の奏(唱)者も何人かいて、その中にはインド人以外の外国人ではじめてバウルになったという人もいた。来日公演を聞いて弟子入りを決断した、と書いてあったが、音楽と教義が結びついている場合、音楽が好きだと教義も受け入れられるものなのだろうか(バウルの教義は、上に書いたように違和感を持つような具体的なことはあまりなさそうだったので、例えばの話として)。

 音が好きでも、歌詞で伝えていることが自分にとって受け入れられなかったらどうするんだろう。考えてみて、それは普段聞いている音楽だって同じだと気付いた。